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前大妻女子大学学長 |
荻上紘一 |
元大学セミナーハウス館長 |
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「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや。・・・」は、聖徳太子が随の煬帝に送った手紙である。倭王武は雄略天皇である。水城は白村江の敗戦後に大和朝廷により造られた。大宰府は大和朝廷の「出先機関」として造られた。沖ノ島が「海の正倉院」であるのは、大和朝廷の支配が及んでいた証拠である。志賀島の金印は田圃の中から掘り出された。神武天皇は架空である。和邇が漢字を伝えるまで、日本列島では文字が使われていなかった。・・・・・
これらは日本人にとつては「常識」である。しかし、その昔「太陽が地球の周りを回っている」という「常識」が正しくなかつた様に、「常識」は必ずしも正しいとは限らない。学問は「常識」を「疑ってみる」ことによって発展する。
学問としての歴史は、史実を解明することが第一歩である。しかし、残されている情報が極めて少ない古代史に関しては、「正しい」ことを証明することは一般には非常に難しいが、「正しくない」ことの証明には「矛盾する事実」が一つでも見つかれば十分である。その意味で、上記の「常識」の多くは、「正しくない」即ち史実ではないことが証明されている。にも拘わらず、これらは教科書に記載され続けている。
日本の歴史を正しく理解するために、一人でも多くの人が「常識」を疑い、真実の古代に迫ろうではありませんか。